房州 ( 千葉県 ) 舘山十代城主・里見安房守忠義公は、慶長十九年倉吉に転封されて当院門前に居住された。


元和八年二十九歳にして関金町堀の地において逝去され、近臣八人が殉死を遂げた。


遺言により、当院において葬送し殉死八臣の遺骨を埋め、御位牌とともにお祀りしている。


この時当院で授けた忠義公の法名を「雲晴院殿心叟賢涼大居士」といい、殉死した八人の法名もすべて「賢」の字を付けたところから、彼らは「八賢士」と呼ばれていた。


のちにこれが、滝沢馬琴作『南総里見八犬伝』のモデルになったのではないかといわれている。


尚、この墓所には忠義公の祖父・正木大膳と里見家家老・堀江能登守も、ともに埋葬されている。
(案内板より)

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