〇 唐通事 林・官梅家の墓
福建省 福州府 福清県 ( ふっけんしょう ふくしゅうふ ふくせいけん ) の出身の林公琰 ( りん こうえん ) が日本に渡来し、大村藩の森氏の娘と結婚し、生まれたのが林道栄 ( りん どうえい ) で、彼は有名な大通事となった。


学識が深く詩文に長じ、かつ、書を能 ( よ ) くし、語学も抜群であった。


その子・三郎兵衛 ( さぶろうべえ ) が早く死んだので、孫の勝五郎の後見として官梅三十郎 ( かんばい さんじゅうろう ) をつけた。


官梅三十郎は平井仁右衛門 ( ひらい にえもん ) の子で三郎兵衛の娘婿である。


三郎兵衛子が林家を継ぎ、三十郎の子孫が官梅家となった。


両家の墓は、向かって右が林家、左が官梅家となっている。


林家が一時鹿児島に行き断絶したようになったのを游龍彦十郎 ( ゆりゅう ひこじゅうろう ) が林道三郎を立てて、林の本家を継がせようとしたときはもう幕末が迫っていた。
( 案内板より)

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