本牧jack『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログ『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑に御訪問頂き誠に有難う御座います。
歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。
たまに『 大人数で取材しているのか? 』との質問を戴きますが、小生と相方の二人三脚で御座います。
出来るだけ続けたいと思っていますが 膝・耳に問題が有って、いつまで出来るやら・・・説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。
御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。 ※ 申し訳御座いませんが「画像の転用」は禁止とさせて頂きます。 コメントは原則公開させていただいております 質問等に対してはブログ記事で返信させていただきます 他の方法で連絡を取り合う等一切しません 場合によっては、「IPブロック」しますがブロックした場合解除する事は有りませんので宜しくお願いします。

2019/11

会津 日向藤九郎僕塩川組 塩川村音次郎。  

音彦神霊。


〇 会津塩川村の人で、会津藩士・日向藤九郎の僕。


元治元年 ( 1864 ) 7月 19日御所唐門で戦死。享年 41歳。

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徳彦神霊
 
元治元甲子年七月十九日戦死 
 
会藩 飯田重慎僕坂下村徳四郎


会津勝常村の人。

会津藩側用人・飯田兵左衛門家来。


元治元年 ( 1864 ) 7月 19日禁門で戦死。享年不明。

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会津 次彦神霊 安藤新次郎僕善治
 
山河蔵入 元治元甲子年七月十九日


会津針生村の人。

会津藩士・安藤新次郎の僕。


元治元年 ( 1864 ) 7月 19日唐門前で戦死。享年不明。

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会津 為彦神霊 会津勝常村


町野重元僕勝右衛門


会津勝常村の人で、会津藩士町野 ( 丹野、野とも ) 伊左衛門重元の僕。


元治元年 ( 1864 ) 年 7月 19日御所唐門前で戦死。享年 45歳。

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小路彦神霊 会津御役地河州小路村 


惣右衛門息仙太郎二十四才 


会津藩士内藤介右衛門家来。


元治元年 ( 1864 ) 7月 19日御所唐門前で戦死。享年 24歳。

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菅 儀八墓。

弟山村東助建之。

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会津 鈴木伊八之墓。

鈴彦神霊。

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光右神霊。 

樋口平三郎光右。

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会藩 尚徳神霊。 

鹽崎豊助。

元治元子年七月廿□日。
( □ は判読不可 )

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鈴木武司政延墓。

会津藩士。

物頭竹本登組足軽。


元治元年 ( 1864 ) 7月 19日蛤門で戦死。享年不明。

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会津 鈴木宇兵衛義連墓。 
 
元治元甲子年七月二十九日。

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吉田清作義清。 

秋作霊神。

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若舘神霊。 


会津猪苗代東舘村與造墓。

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池上高国之墓。 

矩雄神霊。 
 
会藩 慶應三丁卯年三月十四日。

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秋雄神霊。 

山内文内。

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墓石に、岡、円のようにも見えますが・・・・

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定義神霊。
 
佐藤作右衛門墓。

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小野周之進墓。

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飯東瞳兒神霊。

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木村家之墓。

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衛臣神霊。 

稲村長兵衛。

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平彦神霊。 
 
会藩栗原平五郎墓。

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太田原之墓。 
 
会津藩士 大正八年。

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太田原常八之墓。 
   
元治元甲子年 清猷神霊。

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会津 大草喜姫墓。 
 
慶應二寅年四月十八日年十六才。

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〇 会津墓地の由来
幕末の京都は暗殺や強奪が日常化し、徳川幕府はついに新しい識制を作り京都の治安維持に当らせることになった。


これが京都守護職である。


文久二年 ( 1862 ) 閏八月會津藩主・松平容保公は十四代将軍・徳川家茂から京都守護職に任ぜられ同十二月二十四日、家臣一千名を率いて京とに到着、京都所司代・京都町奉行所の出迎えを受けて本陣の黒谷金戒 ( こんかい ) 光明寺に威風堂々と入陣した。


黒谷金戒光明寺は、自然の要塞になっており、御所や粟田口にも近く軍事的要衝の地であった。


また、大きな寺域により一千名の軍隊も駐屯することができた。


当時の京都は尊攘激派による暗殺の坩堝 ( るつぼ ) と化していたが、守護職となった会津藩の活動には目を瞠 ( みは ) るものがあり、翌年八月十八日には激派の公卿を追放し、元治元年 ( 1864 ) 六月には守護配下の新撰組による「池田屋騒動」、七月十八日・十九日の「禁門の変」の勝利などで治安は回復されてきた。


しかしながら会津藩の犠牲は大きく、藩士や仲間小者など戦死、戦病死する者が続出した。


そこで本陣の金戒光明寺の山上に三百坪の墓地が整備され葬られた。


その数は文久二年から慶応三年までの六ゕ年に二百三十七霊をかぞえ、後に慰霊碑を建立し鳥羽伏見の戦いの百十五霊を合祀した。

松平容保公は孝明天皇の御信任厚く禁裏洛中を挙藩一致して六義を明らかにし、會津軍の忠誠は、歴史にその名を残した。


この忠烈なる真義に徹した英魂の遺徳を顕彰せんが為にこの碑に由来を誌す。
  
松平 容保公 都の歌会にて御詠
  
“窓前竹”
 
さす月よ  うつるのみかは  友ずりの
   
  こゑさへ  きよし  窓の呉竹


平成十八年三月  建之
   
会津弔霊義会
会 津 会
東海会津会
京都會津会
(石碑碑文より)


〇 会津藩鳥羽伏見戦死者慰霊碑
旧会津藩有志
 
明治四十年三月建之

会津藩鳥羽伏見戦死者慰霊碑 ( 鳥羽伏見の戦いの戦死者百十五霊を祀る慰霊碑 )


・林 権助
・林又三郎
・依田源治
・中根幸之助
・中澤常左衛門
・小池勝吉
・有賀兵四郎
・佐藤主計
・三宅八次郎
・白井五郎太夫
・飯沼友次郎
・池上友次郎
・池上貞之助
・伊東 登
・伊東覚次郎
・馬場五四郎
・原源右衛門
・林 治助
・服部五郎
・服部幸次郎
・服部武次郎
・長谷川源三郎
・外島泰助
・杤木只三郎
・大澤三郎
・大藪栄蔵
・和田仙六
・渡部四郎八
・片岡新六
・川島虎作
・片峯豊之助
・加藤茂三郎
・横山源蔵
・田中五三郎
・高橋啓四郎
・高橋金兵衛
・武田俊馬
・辻 逸八
・根津次郎
・中村新八
・永瀬勇助
・村岡瀧三郎
・上田国三郎
・上田金六
・黒河内只三郎
・草刈権太郎
・草刈行衛
・山本三郎
・山本新八
・山本計助
・山室鉄三郎
・松本盤之助
・藤澤辰三郎
・小泉久吉
・小出源吉
・安部井留四郎
・赤羽恒次郎
・有竹五郎太
・有竹清蔵
・有賀武次郎
・荒木留吉
・安藤牛助
・安藤三之丞
・西郷常四郎
・佐川又四郎
・坂部寅四郎
・齋藤吉次郎
・佐藤端治
・三瓶鉄蔵
・川村八三郎
・岸武三郎
・木本左門
・御子柴市松
・水野牛次郎
・志賀勇馬
・柴宮八三郎
・渋谷繁次郎
・江上又四郎
・日向求太郎
・門奈甚助
・伊関門次郎
・市野次郎
・林新三郎
・富田仙吾
・高橋兵治
・成田嘉衛伍
・納冨勝之助
・小浅宗碩 
・伊藤治助
・渡部忠助
・加藤辨治
・神田一八
・高橋辨治
・梅田忠左衛門
・永峯大次郎
・上田林之助
・山本郡吉 
・山本庄助
・松本清次郎
・小荒井秀之助
・秋山和三郎
・荒川栄吉
・佐藤次郎
・木澤元蔵
・騎西豊太郎
・光岡一馬
・鹿目鹿之助
・町野源次郎
・町野源三郎 
・飯塚熊四郎
・猪狩太郎
・高橋久次郎
・松崎市太郎
・安藤運次郎
・安藤丑助 


以上 百十五霊

明治四十年三月建之。

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伏見淀鳥羽戦死者道志るへ。

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詳細不明。

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達藤又兵衛墓。


盤陰神霊 元治元甲子年 八月十六日。

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新彦神霊。 

桑原新助。

文久甲子四年 二月朔日。

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葦名興廣墓。 

秀雄神霊。

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郡代同心 京都守護職着任時に江戸で召抱えた剣客。
 
元治元年 ( 1868 ) 6月 5日深夜、池田屋事件で討死。
  
會津 元治元甲子年 六月六日。

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会津 日中村市左衛門墓。
    
八右衛門建。

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会津若彦神霊。 

二宮為五郎。 
    
文久子四年正月十七日。

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成田豊八。 

成光神霊。

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初彦神霊。 

木村初右衛門墓。
    
元治元甲子年二月七日。

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鋒彦神霊。 

荒井伊左美之墓。


元治元甲子年十一月十四日。

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速若彦神霊。 

猪瀬源治墓。

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会津 小池熊蔵奥道  妻染墓。

元治元甲子年二月八日

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秀彦神霊。 

大竹秀三郎。

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兼治神霊。 

深谷兼治為次之墓。

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会津 活彦神霊。 

中原文左衛門。

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元彦神霊。 

佐治吉兵衛墓。

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会津 江藤新吉墓。

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会津 佐藤勘助可貞墓。


病死。

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寄彦神霊。 

猪俣勘左衛門只行。

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八十隅神霊。 

文久三癸亥年 正月十五日


田中久右衛門孝門。

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元治元年甲子七月十有九日 楠藤之進重光。


楠九兵衛の伜 大組与力。
  
元治元年 ( 1864 ) 7月 19日、御所新在家辺りで戦死 32歳

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章彦神霊。 

西村久之助章。


会津藩士。

番頭山内蔵人隊。

与力。


元治元年 ( 1864 ) 7月 19日蛤門で戦死。享年 25歳 ( 27とも )。

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佐藤清之助。 

情彦神霊。


会津藩士。

内藤近之助隊。

三宅八五郎組足軽。


元治元年 ( 1864 ) 7月 19日御所唐門前で長州兵と戦い戦死。享年 45歳。

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