野宮家は、藤原北家花山院流で左大臣花山院定熈の次男忠長絵を祖とする。
野宮定穀 ( ののみや - さだこく )が子爵となる。
神式円墳墓。
「津端家」墓域内。
野宮家の明治以後の方が祀られているようだが、墓誌なく確認できない。
野宮定茂の長女昭子が津端家に嫁いでいる。この縁で野宮家の墓を引き取ったものと思われる。
〇 野宮家
野宮家(ののみやけ)は、羽林家の家格を持つ日本の公家。藤原北家師実流花山院家の庶流。
幕末の
国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』より算出した幕末期の野宮家領は以下の通り。(2村・150石)
・山城国相楽郡千童子村のうち - 100石領地
脚注
1. 中院通純の子。
2. 中院通茂の2男、先代・定縁の甥。
3. 正親町公通の2男。
4. 久我建通の子。
5. 竹屋光有の2男。
6. 竹屋光有の3男、定允の実弟。
参考文献
・小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年。
・霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
系譜参考
・日本の名字七千傑「藤原氏師実流」
・公卿類別譜「野宮」 - ウェイバックマシン(2006年6月28日アーカイブ分)
関連項目
・猪熊事件
・葵祭 - (賀茂祭)
・有職故実
系譜については、「野宮家ウィキペディア」をご覧ください。 ⇩
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%AE%AE%E5%AE%B6
(wikiより)