本牧jack『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログ『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑に御訪問頂き誠に有難う御座います。
歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。
たまに『 多人数で取材しているのか? 』との質問を戴きますが、小生と相方の二人三脚で御座います。
出来るだけ続けたいと思っていますが 膝・耳に問題が有って、いつまで出来るやら・・・説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。
御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。 ※ 申し訳御座いませんが「画像の転用」は禁止とさせて頂きます。 コメントは原則公開させていただいております 質問等に対してはブログ記事で返信させていただきます 他の方法で連絡を取り合う等一切しません 場合によっては、「IPブロック」しますがブロックした場合解除する事は有りませんので宜しくお願いします。

2025/06

駒形橋
駒形 ( こまかた ) の名は、浅草寺に属する駒形堂に由来する。

土地の人々によれば、コマカタは清く発音して、コマガタと濁らないと伝えている。

ここは古来、交通の要地で、"駒形の渡し"のあったところである。

江戸の巷説に有名な、

  君はいま 駒形あたり ほととぎす

の句は、文芸・美術などの上で、駒形堂とともに、この辺りの雰囲気を伝えるものである。

関東大震災 ( 1923年 ) の後、復興事業の一環として、この地に新しく、優美なアーチ橋が設計され、昭和 2年 ( 1927年 ) に完成した。

歌人・正岡子規の和歌にも、

  浅草の林わかず 暮れそめて

      三日月低し 駒形の上に

というのがあり、当時の景況がしのばれる。
(石碑文より)

駒形橋(こまがたばし)は、1927年昭和2年)に竣工した隅田川にかかるで、東京都道463号上野月島線浅草通り)を通す。西岸は台東区雷門二丁目、および駒形二丁目を分かち、東岸は墨田区東駒形一丁目と吾妻橋一丁目を分かつ。橋名は橋の西詰にある「駒形堂」に因む。

関東大震災後の復興計画により現在の橋がはじめて架橋された。それまでは「駒形の渡し」があった場所である。

現在の橋の概要
・構造形式
 中央径間:中路式ソリッドリブタイドアーチ橋
 側径間:上路式ソリッドリブアーチ橋
・橋長 149.6m
・幅員 22.0m
・着工 1924年大正13年)7月
・竣工 1927年昭和2年)6月25日
・施工主体 東京市復興局
・橋梁設計 岩切良助
・橋桁制作 汽車製造  

隣の橋
隅田川
(上流) - 隅田川橋梁 - 吾妻橋 - 駒形橋 - 厩橋 - 蔵前橋 - (下流)

外部リンク
隅田川
(上流) - 隅田川橋梁 - 吾妻橋 - 駒形橋 - 厩橋 - 蔵前橋 - (下流)
(wikiより)

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以前にも伺ったお店で、旬の魚介、野菜、肉等を串揚げにして食べるお店です。

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⇧⇩ 店外観

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⇧ メニュー

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⇧ 上の容器は串揚げに着けて食べます
左から、味噌、塩、ソースになります。

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⇧ 熱かん

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⇧ 左は、お通し 右は、生野菜 ( キャベツ、きゅうり、大根、人参 )

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⇧ お通し

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⇧ 串揚げ 3種 ( 画像は 4人前 )

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⇧ 串揚げ 3種

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⇧ 冷酒

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⇧ 串揚げ 3種

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⇧ 串揚げ 3種

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⇧⇩ 〆は、お茶漬けとデザート

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またまた大満足でした。






松尾甲之進

文久三年八月 於京都にて病死 ( 二十九歳 )。

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臼井留之助平胤勝

元治元年七月十九日 於京師鷹司邸門前にて戦死 ( 二十六歳 )。

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和田小伝次唯之

文久三年十月十四日 於但馬朝来郡山木地村にて戦死 ( 二十九歳 )。

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世木騎騄義安

慶応元年正月十日 於川上口にて戦死 ( 三十一歳 )。

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堀平三郎知忠

元治元年正月四日 病死 ( 二十六歳 )。

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尾川清足

明治十六年九月二日 死亡。

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南野一郎

明治二十七年九月二十五日 病死。

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阿部宗兵衛吉道

慶応二年七月二十七日 豊前大谷越にて負傷 七月二十八日死亡 ( 三十六歳 )。

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白石資風

明治十三年三十一日 病死 ( 六十九歳 )。

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山内賢之充通喜

文久三年六月五日 於前田台場にて戦死 ( 二十二歳 )。

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下瀬熊之進

文久三年十月十四日 但馬生野義挙山口村妙見山にて戦死 ( 二十一歳 )。

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伊東貞三祐久

慶応二年八月十七日 豊前狸山にて負傷 八月二十二日死亡 ( 三十一歳 )。

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田中弁蔵知忠

慶応二年正月二十二日 病死。

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白石廉作資敏

文久三年十月十四日 但馬生野義挙山口村妙見山にて戦死 ( 三十六歳 )。

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伊藤百合五郎

文久三年十月十四日 但馬生野義挙山口村妙見山にて戦死 ( 十九歳 )。

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周田半蔵

文久三年九月六日 京師にて病死 ( 二十二歳 )。

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井関英太郎

文久三年十月十四日 但馬生野義挙山口村妙見山にて戦死 ( 十八歳 )。

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永野熊之允政和

文久三年十月十四日 但馬生野義挙山口村妙見山にて戦死 ( 二十二歳 )。

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関内駅近くに有る馬車道入口にある老舗のお店です ( 創業 天保十年 ) 

40数年前に食べて以来忘れていたお店なんです

なんだか無性に食べたくなり訪問。

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⇧ 店外観

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⇧ 美味しそうです

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⇧ やはり 3種類が入っている「お好み」にしました。

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⇧ 太巻き 2個、かんぴょう巻き 2個、稲荷ずし 2個 ( 泉平さんの稲荷ずし、1本を2個に切り分けてあります )。

40数年ぶりに食べましたが、とても美味かったです。






小田村信之進

文久三年十月十四日 但馬生野義挙山口村妙見山にて戦死 ( 二十六歳 )。

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横浜橋通り商店街の入り口付近にある老舗中華店です

到着したのは土曜日午前 11時 20分頃でしたが、満席で店外に 4人ほど待っている状態でした。

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⇧ 店外観


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⇧ ショーケースが良い感じです。

入店してから丸椅子に座り順番を待ちます 
比較的回転が早いと思います。

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⇧ 通されたのは座敷席でした。

御兄弟で営業されているのか、1人は調理、もう1人の方は接客担当のようです。

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⇧ 壁に貼られたメニュー

皆さんは、酔来丼、酔来丼スペシャルを食べている人ばかり ( ほぼ 100% ) だったのですが、ここは定番のラーメンが食べたいという事で

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⇧ ラーメン

味は昔ながらの中華そば大満足です。

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⇧ +200円で追加できる「小チャーハン」といっても「半チャーハン」よりも量が多く感じました。

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⇧ 餃子

左上に付属している「からし味噌」で食べる方が美味しいです。

次は酔来丼を食べたいと思います。






山県有朋

 大正十一年二月一日 病死。

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堀滝太郎浪風

慶応二年七月二十九日 於吉田傷死 ( 二十三歳 )。

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天宮慎太郎行文

慶応元年正月六日 絵堂村にて戦死 ( 三十九歳 )。

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十川東之勝忠一

明治元年十月九日 於山口にて病死 ( 二十七歳 )。

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阿川四郎延実

慶応二年七月三日 於豊前大里傷き小月にて傷死 ( 二十五歳 )。

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堀潜太郎春峰

明治元年七月二日 於柏崎病院にて傷死 ( 二十七歳 )。

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宮城彦助御楯

文久三年八月二十七日 於教法寺にて賜死 ( 五十一歳 )。

 賜死

賜死(しし)とは、死刑の一種。君主が臣下、特に貴人に対して自殺を命じることを指す(単純に君主の命令(王命)による死刑を賜死と呼ぶこともある)。

本来、「死を賜う」という漢語は君主を主語として「死を与える」という意を表すものであるが、近世以後の日本語においては臣下の視点で「死をもらう」という正反対の意にも用いられる。

本項の解説においては混乱を避けるため、臣下側が主語となる場合には「賜死を受ける」というような表現を用いる。

(wikiより)

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福田侠平公明

明治元年十一月十四日 於馬関にて病死 ( 四十歳 )。

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時山直八養直

明治元年五月十三日 越後国小千谷朝日山にて戦死 ( 三十一歳 )。

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入江九一弘致

元治元年七月十九日 京都鷹司邸門前にて戦死 ( 二十八歳 )。

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