この石柱は、江戸時代、鏡川流域の洪水による災害を防ぐために設けられた受持ちの区域 ( 丁場 ) の境界を示す標柱です。


西は、上町の観音堂より、東は雑喉場 ( ざこば ) に至る鏡川沿いの堤防に、この丁場を示す標柱が建てられ、出水時には武士、町人らが協力して、十二に分かれた丁場を十二の組が出動して水防にあたりました。


各組の長は家老があたり、その下に組頭がおり、組を率いてました。


水丁場には、目盛りをつけた標木も建てられており、これで増水状態を確認しながら、その程度に応じて、出動の人数を決めていたといわれています。


他に同様の標柱が、鷹匠町二丁目・上町五丁目に残っています。
(案内板より)

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