浅山勿斎 ( あさやま - もっさい ) ( 一七五四 ~ 一七九七 ) は、通称を太郎左衛門、松山藩士で、故辞学者である。
彼は学者として傑出しており、二五歳の時に藩主・松平定静に抜擢されて講師となり藩士に経書の講義をした。
さらに注目すべきことは一二項目わたる藩政改革案を献策したことである。
この改革案は、文武の奨励、倹約の厳守、綱紀の粛正等藩政の補強工作に結びつくものがあり、藩主自身が率先して学問に志し、学校を設けること、藩士の任免に留意すること、家老屋敷の訪問は、冗費が多くかかるのでひかえること等藩主にも厳しいものであり、順次に実地され、善政と称賛された。
しかし、最もよい理解者であった定静の急逝により、守旧派の老臣たちの妨害で改革事業は中断されたと伝えられている。
(案内板より)





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