奥平貞幹 ( さだもと ) ( 一八一七 ~ 一八八二 ) は、松山藩士で通称は左衛門、月窓と号した。
貞幹は、藩校明教館で学んだのち、周布郡・久万山・和気郡の代官を歴任した。
周布郡・桑村郡・久万山において、大きな業績を残したが、特筆されるのは、和気郡における大可賀新田の開発である。
嘉永四 ( 一八五一 ) 年、温泉郷の税収減少に対処するため、同郡別府・吉田両村の海岸地域の干潟に着目し、山西村庄屋の一色儀十郎に干拓工事を担当させ、安政五 ( 一八五八 ) 年に約五十町歩の大可賀新田を開いた。
また、彼は第二次長州征討の事後処理にあたり、慶応二 ( 一八六六 ) 年に周防屋代島で長州の林半七と和議交渉を行った。






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