正岡子規は わが国野球草創期に選手として活躍、明治二十年代 はじめて松山の地にこれを伝えた。


最も早くベースボールの技術、規則を訳述解説し、その妙味を強調して ひろく世に推奨「野球」の名づけ親と称される


また短歌、俳句、小説など文学の題材に初めてこれをとり入れた


実は子規は わが球界の先駆者であり 普及振興の功労者である

 
うちはづす球 キャッチャーの手に在りて
   ベースを人の行きがてする
 今やかの三っつのベースに人満ちて
   そぞろに胸の打ち騒ぐかな

(明治三十一年ベースボール九首のうち)
(碑文より)

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