青木研蔵 ( あおき - けんぞう )
文化 12年 ( 1815 ) ~ 明治 3年 ( 1870 ) 9月 8日


生まれは、周防国大島郡和田村

父・地下医 青木玄棟 母・モンの間に 2男として生まれる。


・天保8年 兄・周弼と長崎に遊学して蘭医シーボルトに学ぶ。日田の広瀬淡窓について蘭学を学ぶ。

後に江戸に出て字田川楱斎に医術を学ぶ。その他、伊藤玄朴の塾で教授もした。


・弘化 2年 藩命により江戸の出て長崎へ行く。その後、萩に帰る。


・弘化 3年 再び長崎に行く。


・弘化 4年 医学所の西洋書翻訳御用掛になる。


・嘉永 2年 種痘法伝習の命を受けて長崎に行き、痘苗を持ち帰り初めて藩内に種痘が実施された。


・嘉永 3年 好生館の西洋原書頭取役になる。


・嘉永 5年 都講役に。


・安政 2年 西洋学所師範掛に。


・文久元年 好生堂助教役を経て、

・元冶元年 侍医兼好生堂教諭役になる。測医となる。


・明治 2年 典薬寮医師になり、主計大允から大典医に昇任した。

・明治 3年 明治天皇に従って東京深川の閲兵式に参列し、その帰途、家屋倒壊して圧死した。


享年 56歳 法号:凌宵軒淡雲邦彦居士。

018a

018b

018c