生涯
大阪市天王寺区で父・正義、母・文子との間に長男として生まれる。7歳の時に住吉区北田辺(現・東住吉区)へ転居。1943年4月に旧制天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)へ入学、5月に国民学校教頭であった父が死去する。
第二次世界大戦後に旧制大阪高等学校文科甲類(英語)に入学するが、学制改革により1年で旧制高校を修了し、大阪市立大学法文学部法学科(現・法学部)に入学した。当時の文学論の仲間に高原慶一朗がいた。大学在学中、谷沢永一主宰の同人誌『えんぴつ』に参加。1952年1月、同人仲間だった詩人牧羊子(壽屋勤務)と結婚。同年7月13日に、長女開高道子が誕生。1953年2月、大学在学中に洋書輸入商の北尾書店に入社。1953年12月1日に大阪市立大学卒業。
1954年2月22日、すでに壽屋社員であった羊子が育児のため退社するのに伴い、後任者として壽屋宣伝部に中途採用され、PR誌『洋酒天国』の編集やウイスキーのキャッチコピー(トリスウイスキーの「人間らしくやりたいナ」が有名)を手がける。この時代に『裸の王様』で芥川賞を受賞する。 遅筆で知られ、受賞後第一作となる「文學界」から依頼された原稿を、締め切り間近になっても上げることができなかった。開高は先に「群像(講談社)」に提出していた原稿を持ち帰り「文學界」に提出してその場を凌いだ。しかし、講談社の怒りを買って絶縁状を叩き付けられ、16年もの間講談社から干されてしまう[3]。これを機に壽屋を退職し、執筆業に専念する。
1960年、中国訪問日本文学代表団(野間宏団長)の一員として大江健三郎らとともに中国を訪れ、毛沢東、周恩来らと会見。随筆『地球はグラスのふちを回る』では当時の大江とのエピソードが記されている。
1964年、朝日新聞社臨時特派員として戦時下のベトナムへ。サイゴンのマジェスティック・ホテルを拠点にベトナム共和国軍(南ベトナム軍)に従軍して最前線に出た際、反政府ゲリラの機銃掃射に遭うも生還。総勢200名のうち生き残ったのは17名であった。『輝ける闇』『夏の闇』『花終わる闇(未完)』の3部作はこの戦争での凄烈な体験をもとに書かれている。
帰国後は小田実らのベ平連に加入して反戦運動をおこなったが[4]、ベ平連内の反米左派勢力に強く反発し脱退、過激化する左派とは距離を置くようになる。その後は保守系の立場をとり、後に谷沢永一や向井敏などの右派系文化人を世に出した。
熱心な釣師としても知られ、日本はもちろんブラジルのアマゾン川など世界中に釣行し、様々な魚を釣り上げ、『オーパ!』、『フィッシュ・オン』など釣りをテーマにした作品も多い。現在では浸透している「キャッチ・アンド・リリース(釣った魚を河に戻す)」という思想を広めたのも開高だと言われている。また食通でもあり、食と酒に関するエッセイも多数ある。
開高健という名前について「一切名詞が入っていない珍しい名前で気に入っている」と週刊プレイボーイの人気連載「風に訊け」で綴っている。また、同連載で開高健を「かいた、かけん=書いた?書けん!」と変読みした読者からの投稿を非常に気に入り、度々サインの際に引用していた。
1989年、食道癌の手術後、『珠玉』を脱稿するも東京都済生会中央病院に再入院、食道腫瘍に肺炎を併発し死去[1][5]。58歳没。墓所は鎌倉・円覚寺塔中、松嶺院にある。死後、開高の業績を記念して、1992年から2001年までTBSブリタニカ(現阪急コミュニケーションズ)が開高健賞を、2003年から集英社がノンフィクションを対象に開高健ノンフィクション賞を創設した。また、後半生の16年間を過ごした神奈川県茅ヶ崎市に開高健記念館が開設されている。
受賞歴
・1958年 -『裸の王様』で芥川賞。
・1981年 - 第二十九回菊池寛賞。「ベトナム戦記」から「もっと遠く!」「もっと広く!」に至るルポルタージュ文学確立の功績
小説
(短編※は初出年。長編は刊行年)
・『あかでみあ めらんこりあ』私家版 1951。のち角川文庫・改版
・「パニック」※1957
・「巨人と玩具」※1957
・「裸の王様」※1957。翌58年に第三十八回芥川賞受賞
・「流亡記」※1959
・『裸の王様』文藝春秋新社 1958。のち「パニック・裸の王様」新潮文庫・改版
・『屋根裏の独白』中央公論社 1959
・『日本三文オペラ』文藝春秋新社 1959 のち角川文庫、新潮文庫・改版
・『パニック』パトリア書店 1959
・『ロビンソンの末裔』中央公論社 1960 のち角川文庫、新潮文庫
・『片隅の迷路』毎日新聞社 1962 のち角川文庫、創元推理文庫。徳島ラジオ商殺しがモデル
・『見た揺れた笑われた』筑摩書房 1964 のち角川文庫
・『輝ける闇』新潮社 1968 のち文庫・改版。毎日出版文化賞
・『青い月曜日』文藝春秋 1969 のち文庫、集英社文庫
・『七つの短い小説』新潮社 1969
・『夏の闇』新潮社 1972 のち文庫・改版。直筆原稿版2010
・『新しい天体』潮出版社 1974 のち新潮文庫、光文社文庫
・『歩く影たち』新潮社 1979 のち文庫
・『渚から来るもの』角川書店 1980 のち文庫
・『ロマネ・コンティ・一九三五年』文藝春秋 1980 のち文庫・改版。短篇小説全6篇
・「ロマネ・コンティ・一九三五年」※1978
・「玉、砕ける」※1978。翌79年に第六回川端康成文学賞
・『破れた繭 耳の物語1』新潮社 1986 のち文庫、イースト・プレス、岩波文庫
・『夜と陽炎 耳の物語2』新潮社 1986 のち文庫、イースト・プレス、岩波文庫
・『珠玉』文藝春秋 1990 のち文庫
・『花終る闇』新潮社 1990 のち文庫
・『二重壁・なまけもの 初期作品集』講談社文芸文庫 2004。大岡玲解説
・『ちくま日本文学 開高健』ちくま文庫 2008
・『戦場の博物誌 開高健短篇集』講談社文芸文庫 2009
・『開高健短篇選』岩波文庫 2019。大岡玲編
詳しいことは、「開高 健ウィキペディア」をご覧ください。 ⇩
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E9%AB%98%E5%81%A5
(wikiより)
開高 健
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