河井酔茗 ( すいめい )文学碑

河井酔茗は、本名を又平といい、明治七年 ( 1874 ) 堺に生まれる。


幼時に両親・弟を失い、一六歳まで祖母に育てられ、一七歳の時、山田美沙に詩を認められ、以後一貫して近代詩の発展に尽くした。


同三三年上京し、のち詩草社を起こして自由詩運動の口火を切る。


大正一一年 ( 1922 ) 家族の罹病を憂い、平塚に移る。


平塚町の文学青年が発行する『湘南文芸』に毎号寄稿し、発展に寄与した。


震災後、上京し、昭和三七年に芸術院会員となり、同四〇年病没。享年九二歳。


昭和五三年に酔茗が居住した近くのこの地に「平塚たより」の一節を刻んだ文学碑が建立された。
(案内板より)

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