当社の創建は詳らかではないが、『葛西誌』に「慶長四年 ( 一五九九 ) の鎮守と云」とある。
しかし、柳原村は、元禄年間 ( 一六八八 ~ 一七〇四 ) に葛西郡小谷野柳原村より分村独立しているので、それ以降に村の鎮守として祀られたものであろう。
江戸期にあって同じ柳原の理性院持ちであった。
祭神は、宇迦之御魂神 ( うかのみたまのかみ )。
明治十二年 ( 一八七九 ) の東京府神社明細簿によると、本社殿、拝殿、境内二百三十五坪 ( 官有地 ) とあり、境内社として高木神社 ( 産霊神 = むすびのかみ ) と日枝神社 ( 大山咋神 = おおやまくいのかみ・東照宮 ) の二社があり、氏子は三十五戸ときされている。
高木神社は江戸期の第六天社で、神仏混淆 ( しんぶつこんこう ) を禁止された明治以降に改称した。
また、明治四十四年 ( 一九一一 ) に日枝神社は高木神社に合祀された。
昭和八年 ( 一九三三 ) 、柳原冨士講により浅間神社が勧請 ( かんじょう ) され、富士塚が築かれた。
これは、昭和五十九年 ( 一九八四 ) 十一月、足立区登録有形民俗文化財となった。
講中による七富士巡りなどが行われている。
また、当社に奉納される柳原箕輪囃子 ( みのわばやし ) は、江戸期より伝わる民族芸能で、昭和五十七年 ( 一九八二 ) 十二月、足立区登録無形民俗文化財となった。
(案内板より)




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