来歴・人物
東京府東京市京橋区(現・東京都中央区京橋)出身。東京府立第一高等女学校(現東京都立白鷗高等学校)、文化学院出身。東京左翼劇場に出演する。
24歳で父と死別してから家族を支えるために脚本を執筆するようになる。当初は舞台の脚本を書いていたが、戦時中はラジオドラマの脚本を主に手掛けるようになった。
1938年12月、都内の乃木神社で当時東宝の助監督だった谷口千吉と挙式を挙げるが、翌年10月に協議離婚をした。
戦後、かつてのロシア語の師で、大御所脚本家になっていた八住利雄に映画の脚本を書くよう勧められ、1949年『女の一生』が映画デビュー作品となる。
その後女性の視点から見たヒット作を多数描き、特に文芸作品の脚色で多くの傑作を遺した。キネマ旬報ベストテン1位を4回受賞するなど、戦後の日本映画黄金時代を代表する脚本家である。林芙美子原作・成瀬巳喜男監督の『浮雲』(1955年)などは名高い。
没後、一切の財産を1946年から住んでいた市川市に寄贈した。旧宅は毎月第4土日に公開されている。2004年(平成16年)、市川市の名誉市民に選出された。
・ひめゆりの塔(今井正監督)
・あにいもうと(成瀬巳喜男監督)
・山の音(成瀬巳喜男監督)
・浮雲(成瀬巳喜男監督)
・驟雨(成瀬巳喜男監督)
・ここに泉あり(今井正監督)
・純愛物語(今井正監督)
・キクとイサム(今井正監督)
・はまなすの花が咲いたら(テレビドラマ)
・甘柿しぶ柿つるし柿(テレビドラマ)
受賞
・第1回菊池寛賞(1953年)
・紫綬褒章(1981年)
・勲四等宝冠章(1987年)
伝記
・加藤馨『脚本家水木洋子 大いなる映画遺産とその生涯』映人社、2010年
・著者は元朝日新聞記者、2002年より水木洋子市民サポーターの会会長。市川市立図書館所蔵の資料を基にした評伝。
関連項目
・東京都出身の人物一覧
外部リンク
・脚本家水木洋子の世界 市川市役所
(wikiより)
⇧ 水木洋子
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