元禄 7年 ( 1694 ) 7月に建てられたもので、中央に地蔵の浮彫、その左側に ( そうか迄二里半 ) 、右には ( ミキいわつきしおんしミち ) とあります。


以前はここより 30m南の街道ぞいにありました。


岩槻慈恩寺は、坂東三十三観音霊場の第十二番札所として知られ、江戸川ぞいの人々の信仰をあつめていました。


この道は岩槻慈恩寺道と呼び、舟運が発達するまでは行徳の塩を運ぶ陸路として利用されました。


その後慈恩寺へお参りにいく人々の道として賑わいました。


「金町村 同行弐百三十五人」と彫られていることから、多くの信仰をあつめていた様子がうかがえます。
(案内板より)

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