旧両国橋の東詰め、隅田川と堅川が交差する角地がね尾上町といわれていました。


もともとは空き地でしたが、元禄七年 ( 一六九四 ) に町屋となりました。


町名の由来は、その東側に相生町があったことによります。


古来から、播磨の国の尾上神社は非常におめでたいものとされた相生の松があり、「尾上」といえば「相生」という対にように使われていたためです。


水上交通には便利な土地だったので、料理茶屋や貸し座敷、蕎麦屋などが軒を並べて、たいへん賑やかな所でした。
(案内板より)

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