前田孫右衛門は、文政元年 ( 1818 ) 7月 28日萩に生まれ、名は利済、字は致遠、隆山または行蔵独倚楼などと号した。
萩藩八組士 ( 禄高 173石余 ) で、藩校明倫館に学んだ。
寛容で文雅の嗜みがあり、同輩は彼を擁して長者とし、吉田松陰からも尊敬された。
藩の首脳部の中で、松陰の間部老中要撃策を是認したのは、彼だけである。
松陰死後、その門下生と交わり、一銭燈中合に参加した。
当職手元役・当職用誠役・直目付など藩の要路にあって、藩主の信頼があつく、よく献策した。
同年 12月 19日野山獄 ( 萩市今古萩町 ) で同志 6人とともに刑死した。年 47。
明治 24年 ( 1891 ) 正四位を贈られた。
旧宅は萩市江向水車筋。墓所は東光寺(萩市椿東椎原)。
この碑は、大正 5年 ( 1916 ) 3月に建てられ、前田孫右衛門の外孫・井上清介の構文、教育者・安藤紀一の書である。
(案内板より)
〇 前田孫右衛門
前田 孫右衛門(まえだ まごえもん )は、幕末の長州藩士。諱は利済。甲子殉難十一烈士の一人。
略伝
藩校の明倫館で学び、長州藩の代官や奉行を歴任後、文久元年(1862年)に上京して直目付に就任して軍備の整備に当たるが、奉勅攘夷の為出奔。文久2年(1863年)の八月十八日の政変により直目付を罷免されるが、9月に表番頭格用談役に登用され、後に直目付に復職。
元治元年(1864年)7月、山田亦介・天野謙吉らと共に東上するが京師の変の報を聞いて帰国し、伊藤俊輔と共に応接使となる。禁門の変の後、直目付を再び罷免され、謹慎処分に処される。その後野山獄に入れられ、楢崎弥八郎・松島剛蔵・毛利登人・山田亦介・大和弥八郎・渡辺内蔵太ら6人と共に処刑される。
関連作品
・花神 - 演:渡辺厳 (NHK大河ドラマ、1977年)
・奇兵隊 - 演:近藤洋介 (日本テレビ年末時代劇スペシャル、1989年)
(wikiより)





〇 前田孫右衛門
時代 | 江戸時代末期(幕末) |
---|---|
生誕 | 文政元年7月28日(1818年8月29日) |
死没 | 元治元年12月19日(1865年1月16日) |
別名 | 諱:利済、字:致遠、通称:岩助、号:陸山 |
墓所 | 東光寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 長州藩 |
前田 孫右衛門(まえだ まごえもん )は、幕末の長州藩士。諱は利済。甲子殉難十一烈士の一人。
略伝
藩校の明倫館で学び、長州藩の代官や奉行を歴任後、文久元年(1862年)に上京して直目付に就任して軍備の整備に当たるが、奉勅攘夷の為出奔。文久2年(1863年)の八月十八日の政変により直目付を罷免されるが、9月に表番頭格用談役に登用され、後に直目付に復職。
元治元年(1864年)7月、山田亦介・天野謙吉らと共に東上するが京師の変の報を聞いて帰国し、伊藤俊輔と共に応接使となる。禁門の変の後、直目付を再び罷免され、謹慎処分に処される。その後野山獄に入れられ、楢崎弥八郎・松島剛蔵・毛利登人・山田亦介・大和弥八郎・渡辺内蔵太ら6人と共に処刑される。
関連作品
・花神 - 演:渡辺厳 (NHK大河ドラマ、1977年)
・奇兵隊 - 演:近藤洋介 (日本テレビ年末時代劇スペシャル、1989年)
(wikiより)





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