萩城築城以前に、ここに住んでいた近藤元統 ( こんどう - もとのり ) の屋敷跡及び墓所であるといわれる。

元統の孫・露竹 ( ろちく ) の代、毛利輝元による萩城築城の際に、この地を献上した。

露竹は輝元の萩打入りを迎え、深野太郎左衛門とともに、塩屋町・今魚店町の取り立てに尽力した。

この碑は、明治 30年 ( 1897 ) 12月、近藤氏の子孫にあたる史家・近藤清石によって、その旧跡に建てられ、清石は、

あわれ其恵 ( そのめぐみ ) の露 ( つゆ ) のかからでは

                      かからざらまし露の草むら

という和歌を詠んだ。
(案内板より)

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