この石碑は、大正 8年 ( 1919 ) 11月、侯爵・毛利元昭によって建てられ、萩城の来歴を記したもので、子爵・杉孫七郎の撰文、高島張輔 ( 日本画家・高島北海の実兄 ) の書である。
萩城は毛利輝元によつて築城され、慶長 9年 ( 1604 ) に工事に着手し、4年後の慶長 13年に完成した。
以後 260年間、萩藩主の居城として、また周防・長門両国の藩政の中枢機関として偉容を誇った。
しかし、第 13代藩主・敬親の代に至り、幕末の多端な国事の処理に不便なため、文久 3年 ( 1863 ) 4月、藩府を山口に移した。
その後、藩主の居館、諸役所などが漸次取り除かれついに明治 6年 ( 1873 ) には政府から萩城払い下げが下り、翌年天守閣、矢倉などすべてが解体された。
コメント