明徳寺(めいとくじ)は、長野県長野市松代町豊栄にある曹洞宗寺院。山号は、龍潭山。本尊は拈華微笑 釈迦牟尼仏鎌倉時代作)。

概要
1390年(南朝:元中7年、北朝:明徳元年)に越後国刈羽郡の東福院5世妙徳により開山。明応10年(1501年)には正続円明禅師が中興開山となった。戦国時代には甲斐武田氏家臣で、信濃更級郡香坂氏の養子となった海津城代の春日虎綱(高坂昌信)の帰依厚く、1533年(天文2年)に諸堂を修理し重興開基となる。玉山春洞を招き明徳寺は曹洞宗となる。

境内には虎綱の墓所があり、『甲斐国志』によれば明徳寺には虎綱の没年を天正6年5月初7日とする伝承を伝えているが、これは誤りであることが指摘される。

慶長16年(1611年)、松平忠輝により寺領20石を寄進され、慶安2年(1649年)には江戸幕府から朱印20石を安堵された。それ以後は歴代松代藩主(真田氏)により保護された。

エピソード
夜な夜な小僧に化けて酒を買いにでかけたという「酒飲み弥勒」の伝承がある弥勒菩薩も本尊のほかに安置されている。本堂裏手には、ヒキガエルの産卵場所になる「蛙合戦」の池(長野市指定天然記念物1967年(昭和42年)11月1日指定)などがある。

墓所
高坂昌信の墓の他、大東亜戦争における硫黄島の戦いの指揮官栗林忠道の墓もある。

参考文献
・『信州の文化シリーズ 寺と神社』1981年 信濃毎日新聞社   
・『探訪 信州の古寺 禅宗』1996年 
郷土出版社            
(wikiより)

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⇧⇩ 高坂弾正の墓

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⇧ 栗林忠道の墓

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