鎮座地 : 長野市小島田町新田一三六二番地一
御祭神 : 誉田別尊 ( ほんだわけのみこと ) 建御名方命 ( たけみなかたのみこと )
由緒
祭神の誉田別尊は第十五代応神天皇の諱 ( いみな ) で神宮皇后 ( じんぐうこうごう ) を母とし在位四十一年に亘大陸の文化を積極的にとり入れられ、古代日本の文化の向上、国家の発展に尽くされた御功績が仰がれ皇室の崇敬する神であるばかりでなく源氏一族をはじめ武人の神、弓矢八幡と称して全国各地へ勧請 ( かんじょう ) され、開拓の守護神、農耕神としても信仰されました。
当社においても平安中期、源顕清が信濃の国に流されたと時、この地を訪れ広大な景勝の原野に武運長久を祈り八幡大神 ( はちまんのおおかみ ) ( 誉田別尊 ) をご神木の大欅 ( おおけやき ) に包まれる鞘堂 ( さやどう ) 内のご神殿に祀られたことから、この広源一帯を八幡原 ( はちまんばら ) と名づけました。
川中島合戦で破壊された神殿を信玄は、高坂弾正に命じて社殿を再建させ、その後松代藩真田家が明治維新まで代々祭祀、修繕運営をされました。
現在は明治四十一年に建御名方命 ( 諏訪大社の祭神 ) が合祀され、その御神徳は、必勝、厄除、交通安全、安産、育児などであります。
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