永禄 4年の合戦のあと、武田方の梅津城代・高坂弾正が、一帯に散乱する戦死者の遺体を敵味方区別無く手厚く葬った塚とされる。

昔は付近に数基あったいうが、現存しているのは二基だけで、もう一基は八幡社の南 200メートル程の所にある。
(パンフレットより)

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