※ 本田美奈子さんが病床で書いた詩だそうです。
「笑顔」
子供も、大人も、おじいちゃんも、おばあちゃんも、みんな、みんな 笑っている顔が素敵。
怒っている顔よりも、泣いている顔よりも、困っている顔よりも 笑顔が一番!!
きっと笑顔が幸せを呼ぶと、頭では分かっていても、心では、なかなか分からない人が、多いんじゃないのかナ!?
心が開いて、心の目で、周りを見渡してごらん、きっと、小さな幸せの芽が、見つかるよ。
そして、そこから少しずつ、笑顔が生まれてくる。笑顔が生まれ始めたら、喜びに変わるのも、もうすぐ。
でも人は生きていて、辛い時、悲しい時、涙が止まらず心が開けない時、勿論、沢山あると思う。
そんな時は、あせらないでね。自分だけが不幸ではない。
もっと、心が暗闇に閉じこめられている人達も、沢山いることを、少しだけ思い出してみて。
自分の力で、心を開く人もいれば、誰かの愛で、心を開いてもらう人もいる。
気が付かないうちに心が開いている人もいれば、歌や音楽で、心が開く人もいる。
それは、人それぞれだと思うの。
人は心が閉じたり、開いたり、いろいろな経験、そして、沢山心で感じることによって豊かな心を持ち、豊かな笑顔を育てて行けるのではないのかナ!?と私は思います。
自分自身、豊かな笑顔が増えたら、きっと周りにいる人達にも、幸せ届ける事が出来るでしょう。
笑顔がいちばん!!
「歌声よ響け、朝霞の空に」
本田美奈子.(本名・工藤美奈子)は昭和42年7月31日東京都葛飾区に生まれ、3歳の時からこの朝霞市で暮らしはじめた。
昭和60年に「殺意のバカンス」で歌手デビュー。
「1986年のマリリン」などのヒット曲を連発し、数々の音楽賞を受賞して時代のアイドルとなる。その後、平成4年にはミュージカル「ミス・サイゴン」の主役、キム役に抜擢される。
ミュージカル女優として活躍しながら、クラシックの領域でもソプラノボイスを活かし「アメイジング・グレース」など独自の歌の世界を切り拓いていった。日本の音楽界だけでなく世界のミュージックシーンの中でも、歌手本田美奈子.の多彩なキャリアは類を見ない。
平成17年11月6日、本田美奈子.は急性骨髄性白血病を患い38歳という若さでこの世を去るまで、朝霞を「私の一番大切な場所」と語り、いつも家族と暮らす朝霞の家から仕事先のステージへ向かっていた。また朝霞税務署や警察署の一日署長を務めるほか、朝霞地区交通安全大会にも参加するなど地域でも活動し、地元の人々とのふれ合いにも熱心だった。
平成14年には、念願であったふるさと朝霞でのコンサートをゆめぱれす(朝霞市民会館)にて開催。華麗なステージの上で生きるという人生を歩みながらも、彼女は自然に恵まれた朝霞での生活を大切にしていた。自分の部屋の窓から見える大きな欅を愛し、四季の移り変わりをその欅を通じて感じていた。欅は朝霞の市の木でもある。
急性骨髄性白血病という難病と闘う中で、本田美奈子.はさまざまな人たちから励まされ、いまを生きることの大切さを感じるようになった。難病で苦しむ人たちを勇気づけ、すべての人たちに命の尊さを伝えてゆく「LIVE FOR LIFE」(生きるために生きる)の活動は、そんな本田美奈子.の生前の願いから生まれた。
このモニュメントに刻まれた「笑顔」の詩もまた、病床にあった本田美奈子.が自身の想いを書き綴っていたノートから抜粋されたものである。
本田美奈子.は平成18年7月から1年間、骨髄バンクドナー登録推進キャンペーンのシンボルキャラクターに起用されドナー登録者が飛躍的に増えるなど、彼女の思いは多くの人たちに受け継がれ、その歌声はいまも愛され続けている。



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