慶応 2年 ( 1866年 ) 5月 2日未明 、有川地区江ノ浜郷沖の潮合埼でワイル・エルフ号が遭難し、船将である高泉十兵衛こと鳥取藩士、黒木小太郎、そして竜馬の信頼が厚かった細江徳太郎こと土佐藩浪士、池内蔵太ら十二名が命を落とす大惨事が起きた。

慶応元年 ( 1865年 ) 9月 坂本龍馬は、薩摩藩や長崎商人の援助を受け神戸海軍操練所の塾生たちと共に「亀山社中 ( のちの海援隊 )」を長崎・亀山に設立。

亀山社中は、海運業に必要な船を薩摩の援助によってトーマス・B・グラバーから、二本マストの洋型木造帆船ワイル・ウエフ号を手に入れた。

慶応 2年 ( 1866年 ) 4年 28日、ワイル・エルフ号の命名式と洋上訓練のため、鹿児島に向けて長崎を出港。

航海の途中、大暴風雨に遭って漂流し、5月 2日、有川地区江ノ浜郷沖の潮合崎で暗礁に乗り上げ転覆した。

総勢十六人のうち四人を除く乗組員が還らぬ人となってしまった。

この時、龍馬は「寺田屋事件」で受けた傷を鹿児島にて療養中だったが、即座に亀山社中の一行を連れて当地に渡り、自ら碑文を書き同士の霊を弔うため資金を添えて建碑を依頼したといわれている。

現在も江ノ浜地区にある共同墓地には碑文・遭難者名を刻した墓碑が建っており、江ノ浜地区住民の手により大切に祀られている。
(案内板より)

〇 ワイル・ウエフ号

ワイル・ウエフ号(ワイル・ウエフごう、Wild Wave)は、亀山社中の練習船。

坂本龍馬薩摩藩の援助を得て、グラバーから購入したプロイセン建造の木造小型帆船

1866年慶応2年)4月28日 (旧暦) にユニオン号に曳航されて長崎を出航し、鹿児島へ向かっていたが、途中暴風雨に遭遇し、衝突防止のため曳航索を切断後に遭難した。5月2日 (旧暦) 未明、長崎県中通島の東、潮合崎沖で暗礁に乗り上げ転覆し、亀山社中の池内蔵太など、乗組員の多くが死亡した。

ワイル・ウエフ号が沈没した海域を臨む、長崎県新上五島町の有川地区には、その時の船の一部と思われる舵棒の原寸大模造が置かれ、「龍馬ゆかりの地」という記念碑が建てられている。2010年5月2日には新上五島町により海に向かって合掌する「祈りの龍馬像」が建立された[1]

出典
1. 「祈りの龍馬像」建立10年で式典 新上五島、五島の住民グループ”. 長崎新聞. 2022年11月25日閲覧。

参考文献
・『旅する長崎学(13)海の道Ⅲ 五島列島』(長崎文献社、2010年)

関連項目
いろは丸

外部リンク
ワイル・ウエフ号遭難の慰霊碑発見顛末記 長崎県職員公式ブログ 「ながさき情報局 ~坂本龍馬、秋山真之、観光情報、etc.~」
(wikiより)

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⇧ 真ん中が慰霊塔
左右がお墓のようです。

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