国選定 重要文化的景観「北魚目 ( きたうおのめ ) の文科的景観」
〇 柴田勝家子孫の居宅
立串集落は今から約 400年前の慶長年間に越前の柴田勝家の子孫が移住し、定着したことから現在の漁業集落としての基礎が作られました。
柴田家は当初、製塩などで生計を立てていましたが、網の権利を得るなどし、本格的に漁業に参入しました。
柴田勝家の四子・空性は出家し、文禄元年 ( 1592 ) 平戸の光明寺を開山しました。
勝家の長子・掃部頭の子は兄弟で空性を頼り、平戸の地へ渡りました。
兄は出家し名を了空と改め、光明寺の住職となりましたが、弟・勝厚は出家せず、漁業者として身を立てるべく、山田、木谷、蒲田、松下、福田、小賀氏従者 8人を従え慶長 18年 ( 1613 ) 上五島に渡り、藤ノ首に定住したといわれています。
8人の従者の事を「家来八軒」あるいは「八軒屋」と称され、現在も海岸沿いの住宅の配列にその面影が残されています。
また、後に領主からカマス網の権利を受け、従者にはカマス網の操業をさせるなど、主従の深いつながりは長く持続されていました。
現在の柴田家の家屋は近代になり建て替えられた建物ですが、集落の中では最も規模が大きいもので、立串集落の成り立ちを表す建物として、北魚目の文科的景観構成要素として指定されています。
(案内板より)





























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