太平洋戦争中は日本各地で空襲に備えて防空壕の掘削が奨励された。

佐世保市でも行政機関や町内会が主体となって掘削が行われたが、家族単位のものも多かった。

昭和 20年 ( 1945 ) 6月の佐世保空襲では市街地の約 6割が焼失し、多くの人が亡くなったが、防空壕に避難して一命をとりとめた人もいた。

空襲で焼け出されてしまった人のなかには、防空壕を住居や店舗に利用する人も少なくなかった。

この戸尾市場には、現在でも防空壕を利用した店舗もあり、「とんねる横丁」の名で親しまれると同時に、焼け跡から復興を歩み始めた人々の逞しさを今に伝えている。

5a