所在地静岡市葵区沓谷二丁目7番1号
位置北緯34度59分22.3秒 東経138度24分4.5秒
山号貞松山
宗旨日蓮宗
寺格本山
本尊三宝尊
創建年弘安6年(1283年
開山日持
開基松野六郎左衛門
中興年元和元年(1615年
中興日乾
正式名貞松山蓮永寺
公式サイト本山貞松山蓮永寺(日蓮宗ポータルサイト)

蓮永寺(れんえいじ)は、静岡県静岡市葵区にある、日蓮宗本山(由緒寺院)。山号は貞松山(ていしょうざん)。通称みまつ(三松)蓮永寺。

概要
蓮永寺は元和元年(1615年)、お万の方の願いにより庵原郡松野村(現・富士市富士川町)から現在の沓谷に移された[1]。お万の方は上総国(現・千葉県中央部)大滝城正木左近大夫頼忠の娘で、伊豆河津の笹原城主蔭山氏の養女となり、さらに徳川家康の側室となった[1]。その後、お万の方は家康の十男頼宣紀州家初代)と、十一男頼房水戸家初代)の男子二人を生んだ[1]。家康が駿府城で元和2年(1616年)4月17日に没すと、お万の方は髪を下して養珠院と号し、蓮永寺に籠り家康の菩提を弔った[1]。晩年を頼宣のもとで暮らした養珠院は77歳で没し、境内には供養塔が建てられている[1]。蓮永寺には寺宝として家康ゆかりの品が数多く保存されている[1]

現住は、41世・松村日尭貫首(塔頭・隨量院より晋山)。親師法縁。塔頭が一院ある(隨量院)。

歴史
弘安6年(1283年) - 松野六郎左衛門が庵原郡松野村に永精寺を建立し、日持が永精寺1世となる。
正応元年(1288年) - 日持が大願主となり、池上本門寺に木造日蓮聖人坐像を奉納する。
永仁3年(1295年) - 日持が永精寺を出て荒廃する。
永禄12年(1569年) - 兵火に罹り伽藍を焼失しさらに荒廃する。
元和元年(1615年) - 養珠院が大檀那となり、日乾が伽藍を再建する。この時駿河沓谷(くつのや)に移転し、蓮永寺と改称する。
寛永7年(1630年) - 身池対論に蓮永寺から日長が臨む。
安永3年(1774年) - 伽藍を焼失する。
寛政元年(1789年) - 伽藍を再建する。

伽羅・境内、脚注、外部リンクについては、『蓮永寺ウィキペディア』をご覧ください。 ⇩
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E6%B0%B8%E5%AF%BA


文化財
有形文化財
・岩蒔絵文台及び硯箱(静岡県指定有形文化財、工芸品、1959年(昭和34年)4月14日指定)[2]
・養珠院供養塔(静岡市指定有形文化財、建造物、1963年(昭和38年)8月8日指定)
[3]


旧末寺
日蓮宗は昭和16年(1941年)に本末を解体したため、現在では、旧本山・旧末寺と呼びならわしている。
貞松山隨量院(静岡県静岡市葵区沓谷二丁目)- 塔頭
妓楽山妙音寺(東京都台東区松が谷一丁目)
本松山蓮華寺(東京都文京区白山二丁目)
 ・蓮華寺 末:久宝山観成院(茨城県牛久市牛久町)
 ・蓮華寺 末:本松山延寿院(東京都八王子市川口町)
 ・蓮華寺 末:久遠山仙行寺(神奈川県厚木市上古沢)
大法山本伝寺(東京都文京区大塚四丁目)
長久山妙安寺(東京都練馬区旭町三丁目)
多宝谷山妙伝寺(神奈川県鎌倉市扇ガ谷二丁目)
松林山妙永寺(静岡県富士市浅間上町)
円立山法栄寺(静岡県静岡市葵区駒形通四丁目)
常慶山蓮長寺(静岡県静岡市葵区沓谷)
妙法山永精寺(静岡県富士市南松野)
成等山正覚寺(静岡県島田市本通一丁目)

その他
勝信子墓所(勝海舟の母)
勝順子墓所(佐久間象山の妻)
静岡陸軍墓地

交通アクセス
・JR静岡駅からしずてつジャストラインバス(竜爪山線・東部団地線・唐瀬線・北街道線)にて「三松」下車すぐ
(wikiより)

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