尾道文治の墓碑
尾道文治こと落語家・桂文治は、師弟関係などは不明だが、六代目・桂文治と親しくしていた。
落語の舞台からおりてから旅回り専門の芸人としている頃から尾道に居ついた。
舞台では「お岩」が十八番であった。
尾道では久保一丁目丹花小路に住み当寺の檀家で地元の豪商であった田坂卯三郎の支援を受け、時折宴の席などで芸を披露し易学や占いなどで生計を立て過ごした。
一九〇五年 ( 明治 38年 ) 七月に九十三歳で生涯を閉じ、田坂卯三郎によって当寺に葬られた。
この墓は戦前まで国道二号線上にあったが、戦後まもなく永代供養塔に移った。
しかし平成二十八年初代・桂文治没後二百年にあわせてこの場所に移してお祀りした。
戒名は「辨誉秀音信士」、横には「丹頂文治藝姓桂 享年九十三才」とある。